私が最後の会社に就職した2000年頃は、1997年に日産生命、山一證券、北海道拓殖銀行、翌1998年には日本長期信用銀行などの名門金融機関の破綻が相次ぎ、名目GDP成長率が戦後最悪の-1.5 %を記録。
バブル崩壊後の日本経済は、日本的経営慣行が覆され、「リストラ」と称した整理解雇ブームが巻き起こり、大量失業者が出た厳しい時代でした。
最後に勤めた会社も印刷業でしたので、1998年ごろからIT関連の株価が上昇し始めインターネット・バブルに押され、仕事が減り続けている状況でした。
入社後すぐに不渡りの危機
会社に経理として入社した私に前職者からの引継ぎがありませんでした。
そこで、5社連結の決算書を精査すると、5社の総売上が12億円。借入金は10億円近くあります。つまり見せかけの黒字会社だったのです。
あわてて普段の業務と並行して、1か月でバラバラの帳票を整理整頓して資金繰り表を作成しました。
そこで判明したのは、このままでは不渡りが出ることでした。
不渡りを2回出すと会社は倒産します。
そこで、入社間もない私でしたが、入金先に「1か月、早く入金してもらえませんか」とお願いして回り、支払先には「2.3か月、支払いを待ってもらえませんか」とお願いして回りました。
どこの会社も苦しい時期でしたので、この申し出にOKしてくれる会社は、そんなに多くありませんでした。
そこで、会社にある数カ月先に現金化できる手形を銀行に持ち込み、手数料を支払って6000万円の枠の全額を月末の支払いにあてました。
それでも、差額27万円までにしか縮まりません。
今のように会計ソフトがある時代ではありません。
資金繰り表も自前のエクセルです。
もし計算が間違っていたら、せっかく入社したのに会社がなくなってしまいます。
そこで、何回も通帳をさかのぼり、支払いを忘れて引き落としされる金額がないか確認しました。
入金先にも何回も電話をかけ、お詫びとお願いを繰り返しました。
この間も、違法ソフトの使用で会社が訴えられ4000万円の賠償請求がなされ、その金額を少なくしてもらう交渉もしましたので、朝は7時に出勤し、夜は終電で帰る生活をしていました。
お金の心配、慣れない法律との格闘、自分の収入がなくなる不安。
毎日、会社のお金が足りない夢を見て、うなされて目覚めました。
時には法廷に立ち被告人として訴えられている夢も見ました。
顔には吹き出物ができ唇も荒れるばかりでした。
会社に残るために内部から会社再建に取り組む
そうして、やっと月末を乗り越え会社の不渡りを回避した私は、このままでは、会社に未来はないと思い、就業規則の改定、人事評価の作り直し、借入金の借り直しによる利息の圧縮、営業補助をつけての営業効率のアップや在庫管理方法の修正など、ありとあらゆることに取り組み始めました。
早朝出勤、終電帰宅に加え、休日出勤もたくさんしました。
仕事が終わらず帰れなくて会社に泊まったこともありました。
これら全て、会社をつぶさないためにやったことです。
その結果、たった6か月間で、6000万円あった隠れ赤字は解消し、売上は10%アップし、コストは7%ダウンしました。
「これで、一安心」と思ったその後、社長は資金繰りが良くなったので、京セラのアメーバ経営を2000万円で導入すると言い出しました。
そうして、社員全員への聞き取り調査がありました。
社長には気にいらない
この聞き取りで私は、資金繰りの大変さに加え、不渡りが出そうなところを乗り切り、就業規則の改定、人事評価の作り直し、借入金の借り直しによる利息の圧縮、営業補助をつけての営業効率のアップや在庫管理方法の修正など、ありとあらゆることに取り組んだ苦労を話しました。
そうして、話しながら泣いてしまいました。
これが、社長には気に入らなかったようで、「泣くほどの苦労はさせてない」と怒るのです。
私は、何を怒られているのかわかりませんでした。
女性が朝7時に来て夜終電で帰るとなれば、時にはタクシーになります。
そのタクシー代を請求したこともなく、必死で会社を立て直した私が、少し泣いたぐらいで、どうして怒られなければならないのか?
さらに事件は起きる
そんな2000年の年末。
それでも潤沢でない月末の経理処理を終えてヘトヘトの私は忘年会に遅刻しました。
車に乗せて行ってくれるという人がいたので乗せて行ってもらったら時間通りに着かなったのです。
社長には、それが気に入らなかったようです。
遅れて会場に着いた私に社長は言いました。
「あなたは忘年会に遅れてくるほど偉いのか。みんなが集まる時に遅れてくるような奴はいらん」
そうして、年が明けて出勤した私を社長室に呼び出しネチネチとイヤミを言うのです。
どんなに謝っても許してくれません。
私としても、なぜここまで言われなければいけないのかわからないほどイヤミを言われるのです。
自信はないけど独立を決意
私は「会社はどんなに頑張っても社長の好き嫌いだけで評価されるんだな。
6か月間で、6000万円あった隠れ赤字は解消し、売上は10%アップ、コストは7%ダウンさせたって、そのために滅私奉公しったって何も役に立たないんだな」と悲しくなりました。
社長の資産を守り、他の従業員にバッシングされながらも、やるべきことを歯を食いしばってやって社長や社員を救っても評価されない自分。
給与が大きくアップするわけでもなく、何か報奨金が出るわけでもなく、体調が悪くても医療費も移動費も自腹で出し、友達と会う時間を削り、おしゃれをする暇もなく、毎日、会社のために頑張った自分。
私は、あまりの悲しさに自分の身体を抱きしめて泣きました。
それでも終わらない社長のイヤミにほとほと嫌気がさしました。
なので、会社を辞めて転職しようと決心しました。
かといって、リストラの嵐が吹き荒れている時代です。
40歳を超えた女性を雇ってくれる会社もないでしょう。
でも・・・、でも・・・、
頑張りが認められない会社にいて何が楽しいのか?
結果を残しても社長の気分で評価される状況にいて、人格否定のようなイヤミを言われ続けても耐える生活に未来はあるか?
会社を辞めても生活できる給与で雇ってくれる会社もなかった私は独立することにしました。
独立しても食べていける保証はありません。本当に怖かったです。
でも、アメーバ経営のコンサルタントにも「ほぼアメーバ経営と同じ考えです」と言われた会社再建の考え方を使えば、女一人食べていくぐらいできるだろうと独立しました。